「諦める」の本来の意味は?
「諦める(あきらめる)」という言葉からどんなイメージを受けますか?
関西弁でいうと
「もうあかん」「しゃあないなぁ」「どないもならへんし」・・・
という感じでしょうか。
どちがかというとネガティブな感じ。
でも「諦める」の本来の意味は違うのですね。
「諦」の字の意味は、古語辞典によると「真実・真理」。「ものごとを明らかにする」「見極める」ことなんだそうです。そこに「あきらめる」の意味はありませんでした。
だから
「諦観」・・・明らかに真理を観察すること
となるわけですね。
マインドフルネスの実践で得られるのは、いろいろなことを、より詳細に、解像度高く、感じ取れるようになること。だから「諦める力」が高まる、とも言えるのですね。
かなりポジティブです。
自己基盤を学ぶまでは「人間とは知れば知るほどどうしようもない存在だ」という感覚がありました。
しかし、自己基盤を学び、マインドフルネスに親しむようになってからは「人間とは、知れば知るほどすごくて驚きに満ちている」という感覚に変わっています。
あんまり面白いので、もっと「諦める力」「諦観する力」を向上させたいと思っています。
参考図書:「ダライ・ラマが語る般若心経」