学びの環境を整えながら考えたこと。スクールの精神はどこに宿るのか?
関わっているコーチングスクールでもうすぐ合宿がある。コロナ禍があったので4年ぶりである。今回は私は幹事の一人で、今日は振り込み確認作業の大詰めであった。いわゆる「連絡+確認+作業」の連続ではあるが、無事に振り込みプロセスが完了して、ホッとしている。
もう一つ、別のタイプの仕事もしていた。これは何と言語化したらいいのだろうか・・・コーチング・スクールの学習プロセスに関することである。まず、ICFという国際団体が、質の高いコーチングを提供するための、さまざまな基準を設定している。スクールには、その基準を満たすコーチを育成するべく、学習環境を整え、かつ試験をするという役割がある。
学習者は当然、その試験に合格して、ICFの資格を取得したい。なぜならICFの資格は国際的に認められた資格だからだ。そして、できるだけ楽に、無駄なく、資格をとりたい。どれもすべて当然のことである。
しかし、そこに落とし穴がある。「資格取得ありき」になってしまうと、本質からはずれた学習方法が蔓延してしまう。これにどう対応するか。
ICFのしくみが大きく変わり、各スクールに試験の一部が託されると、今まで考えなくてもよかった課題がいろいろと出てくる。私は今、それらに対応しているのである。こういうタイプの仕事は、なんと言語化したらいいのだろうか。
インテグラル理論でいうと、右下象限のシステムの変化に対応しているのだろう。しかし、ただ対応している、というだけでなく、もう少し異なる視点で言語化してみたい。
私たちのスクールは、どんなコーチを育成したいのか。もちろんICFの基準は満たすわけだが、「チェックリスト的」にただ基準を満たせばよい、というものでもないだろう。チェックリストを満たすだけでは、面白くともなんともない。チェックリストを満たすだけでは、そこに「いのち」は生まれない。
ICFのシステムの上の私たちのスクール。そのどこに、スクールとしてのいのち=スピリットが宿るのだろうか?そんなことを考えている。