![34. 葵祭で大切にされる草木、ふたば葵と桂、そして集合的無意識について](https://i0.wp.com/takahashimisa.jp/wp-content/uploads/2024/05/571988A1-81C5-4F00-A89E-72CA8F9B8875_1_105_c.jpeg?fit=640%2C480&ssl=1)
5月になり、 若葉の緑が目にしみる頃、
葵祭りが始まります。
なぜコーチングのブログでお祭りの話をするかというと、
お祭りは、その地域の「集合的無意識」に関係するからです。
そして、無意識の領域もコーチングの守備範囲なのです。
・・・とはいえ、今回は気楽な話です。
普段は意識しませんが、
私たちは、その土地固有の考え方に
影響を受けて生きています。
このことは、
普段はあまりにも当たり前すぎて、
ピンとこないかもですが、
海外に住むと
なんとなく見えてきたりします。
土地固有の考え方というと
インテグラル理論で言ったら
左下象限になりますね。
さて、
葵祭は、京都三大祭りの1つですが、
5月 15日の行列だけフィーチャーされることが多いです。
でも、本当は5月の間ずっと
なにかしらのお祭りをしています。
祭りの舞台 の1つである、下鴨神社は
私の朝のウォーキングコースなので
5月から粛々と始まるお祭りの気配を
感じることができて楽しいです。
この時期、神社の境内のここかしこが
二葉葵(ふたばあおい)と桂で飾られます。
![](https://i0.wp.com/takahashimisa.jp/wp-content/uploads/2024/05/87CA835F-DFE4-4F1D-8246-ABF4FC48CD3B_1_105_c.jpeg?resize=640%2C480&ssl=1)
桂の枝の真ん中あたりに「ふたば葵」を取り付けて、飾ります。
![](https://i0.wp.com/takahashimisa.jp/wp-content/uploads/2024/05/31112DF0-0908-4BB9-97E2-E4936AA76DA2_1_105_c.jpeg?resize=640%2C480&ssl=1)
少し、離れてみるとこんな感じです。
5月15日の行列の他にも、
お祭りとしては、
流鏑馬(やぶさめ)、
斎王代の禊(さいおうだいのみそぎ)
御蔭祭(みかげまつり)・・・
その他、いろいろありますが
そのたびに
二葉葵と桂のお飾りが、取り変えられます。
![](https://i0.wp.com/takahashimisa.jp/wp-content/uploads/2024/05/3B2213DE-683A-4C9D-B995-D490F1BB45BB_1_105_c.jpeg?resize=640%2C480&ssl=1)
桂の若木
![](https://i0.wp.com/takahashimisa.jp/wp-content/uploads/2024/05/4AF28E4D-D413-4879-8087-9B549FB436CA_1_105_c.jpeg?resize=640%2C480&ssl=1)
二葉葵はこんな感じです。とても背が低い植物です。
お祭りに関わる人もほぼ全員
身体のどこかに、
桂の枝や二葉葵を身につけます。
これはもう何かの信仰の表現だとしか思えません。
話は少し飛びますが、
日本は長らく神仏習合の国でした。
神社とお寺が別々になったのは
明治時代の
廃仏毀釈という政策からです。
下鴨神社の境内の中にも
以前はお寺があったことがわかっています。
平安時代、天台宗の安然というお坊さんが
仏教の教えてとして、初めて
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」
ということを言い出したそうです。
・・・人間だけでなく、草木も山も河も全部、
仏になれるんだよ
という意味です。
この言葉は、お能の中で、よく出てくるそうで、
お能がポピュラーな芸能だった時代には
「草木国土悉皆成仏」
〜草木も山も河もみ〜んな神さま仏さま!〜
という感覚が
広く共有されていたのだと思います。
また、この言葉は、
インドや中国伝来の経典の中にはなくて、
日本のオリジナルだそうですよ。
![](https://i0.wp.com/takahashimisa.jp/wp-content/uploads/2024/05/9A6EB678-6CF2-4C23-8507-9290B18DA3CF_1_105_c.jpeg?resize=640%2C480&ssl=1)
この川のはるか向こう、右手に見えるが比叡山です。
ここに天台宗のお寺があります。
そんな背景の中で、
みんがみんな、二葉葵や桂を身につける、
これは、なんらかの
「神さま」「仏さま」を
身につけている気分になるためだったのでは
と思います。
また話は飛びます。
以前私は、古典フラダンスを習っていたことがありました。
そのとき、ダンスチームのみんなで
本物の葉で、レイ(大きなくびかざりのようなもの)を作り、
それを身につけて踊る、という経験をしました。
身につけた本物の葉から、
香気が立ちのぼってきて
なんともいえない神聖な気分になりました。
文化人類学によると、
土地によって、固有の文化、信仰がありますが、
太平洋を囲む地域の文化には、
共通するものがある、と言います。
ハワイのフラダンスで、本物の葉を身につけるとか
日本の葵祭で、至る所に、二葉葵や桂を飾り、全員が身につけるなどの
心のありようには、
集合的深層意識の部分で
共通点があるように思えて仕方がありません。
![高橋左](https://i0.wp.com/takahashimisa.jp/wp-content/uploads/2021/07/IMG_4431.jpg?resize=300%2C280&ssl=1)
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