28.日記 光とは意識のことかもしれない

命より大切なもの。それは苦しまないこと

『人はどう老いるのか(久坂部 羊著)』を読了。著者は長らく高齢者医療に携わっている。

印象的だった文章は「命より大事なもの。それは苦しまずにいるということ」「いや、それでも命より大事なものはないと言う人は、今、救いようのなに苦しみに苛まれていないのでは」という箇所だった。

これは、仏教哲学の、「生病老死」の苦しみから人を解放するのは「抜苦与楽」の道である、というのに通じると感じた。仏教哲学は、宗教のようだし、一般的には哲学には思えないので、あまり人気はないのだが、それでも私は、すごい、と思い続けている。

光とは意識のことかもしれない

昨日「今年のテーマは何か」という話になった。相手の方は「光」だと言った。

光がテーマとはどういうことか。対話もしたし、そのあと自分でもいろいろ考えてみた。

私などは理系の教育を受けているので、光の波長が〜とか、光は、波か粒子か、という話を始めそうである。同時に、光はエネルギーだとも言いそうである。

一方、小さな子供に「光って何?」と問われたら、別の説明をするだろう。きっと外へ連れていって、周りの景色を見せて「こういうものが見えるのは、すべて光があるからよ」「光がないと、真っ暗で、何にも見えないのよ」と、光の役割について話すかもしれない。

昨日の方は「光をあてるとは、意識を向けること」という文脈で語っていた。

それで、私は、光そのものとは、意識のことかもしれない、と思っている。

インテグラル理論の四象限モデルで考えてみると面白い。光は波か粒子か、という科学話は、個人の外面にあたる「右上象限」の話。光は意識である、とは、個人の内面にあたる「左上象限の話」になる。


高橋左

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