
2024年の初めに
1月1日、能登半島を大きな地震が遅いました。
これ以上の被害が拡大しないこと、これ以上の地震被害が起こらないこと、被災された方には、少しでも早く日常が戻ることを祈ります。
普段の私は、目に見えない世界に意識が向いている。しかし、このような大きな災害があると、目に見える世界にもっとグラウンディングする必要があるのでは、と我が身を振り返ります。
2024年のテーマ「あり方・姿勢」
コーチングなどの対人支援では、スキルも大事ですが、支援者のあり方や姿勢が大きく問われます。
2024年は、支援者としても学習者としても「あり方・姿勢」をテーマに活動します。
本年もどうぞよろしくお願いいたします
「あり方・姿勢」について新しい視点
年末年始、「あり方・姿勢」について興味深い対談動画を見た。大量の野菜の皮剥きを延々とやりながら、もうひとつの延々とつづく「ありようの対話」を聴いたのだった。
その対談からはさまざまな発見があった。一つ目は「ありよう」は時々刻々変化する、ということだ。
話者の一人は、半分瞑想状態。もう一人の話者は、不思議な状態なのだが、瞑想状態ではない。
また、正直言って、対話がいまひとつかみあっていない。なので「何の話をしているのか」中身を追いかけようとしても、追いかけられないし、仮に追いかけられたとしても、それに見出しをつけたら、とても表面的であろう。
にもかかわらず、不思議なことに、どこか別の次元で対話が成立していた。うまく言えないのだが「ありよう」のレベルで対話がすすみ、共感のようなものが起こっていた。
そのうまく言えない「ありよう」のレベルで、双方の「意識の状態」が時々刻々と変わっていく様子が感じられた。
「あり方・姿勢」は時々刻々変化する
対人支援者には、対人支援という「役割意識」を超えて、「素の自分」のありようが大事だ。これまでの私は「素の自分」のありようは大事だとは思っていたが、「素の自分」は、なんとなく「固定」したもの、と思っていた。
しかし、えんえんと野菜の皮をむきながら、二人の対話の様子をふわっと見続けていると、二人の「ありよう」も時々刻々と変わるものだということが伝わってくる。
さっきの自分と今の自分では「ありよう」レベルでも違ってくるのだ。よく考えればあたり前のことかもしれないが、私には新鮮だった。
インテグラル理論で言えば、その人の状態が時々刻々変わるようなものである。
その人らしい「あり方・姿勢」には、さまざまな風合いががありうる
もうひとつ、この対談から学んだことがある。
「あり方・姿勢が整っている」というとどんな状態を想像するだろうか。なにか落ち着いていて、静かに微笑んでいる人のイメージだろうか。しかし「あり方・姿勢」が整ったとしても、整った状態は一様ではない。そこにはまださまざまな「キャラ」がある、というのだ。
「キャラ」というと、「状況に合わせて作るもの」というイメージもあって、私もそれを否定はしない。だけれども、それ以外のキャラもある、というのだ。そのキャラのベースには、その人がもともと持ち合わせている気質や傾向性がある。
対談では「極端に言えば、自己肯定感が低いままで、ありようがしっかり育っている人がいてもいい」と言っていた。この表現はとても面白いと思う。そういうものかもしれない、と思った。
こちらは、先ほどのインテグラル理論で言えば、タイプや発達段階の話に通じる。タイプや発達段階は、急に変わるものではなく、徐々に育てたり、熟成させたりするもの、ということと関連するだろうか。
とにかく、この「ありようの対話」では、言語的にはぜんぜんかみあっていないようにみえて、その実、どこかのチャンネルではなんとなく共鳴しているように見える、とても興味深い対談だった。

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