今宮神社を訪ねて、その場所のもつ雰囲気は何で作られるのか考えてみた

このテーマを扱おうと思った理由

先日通りがかりに今宮神社を訪れた。今宮神社については「あぶり餅」以外、私には何の前知識もなかった。神社の楼門は大変立派で、普段からなじみのある下鴨神社クラスだと感じたのだ。こんなに大きな楼門をもつ神社は、そんなに多くはない。

今宮神社の楼門。

しかし、一度中に入ってみると、下鴨神社とはずいぶんと印象が違うのである。とてもよく整備された境内である。しかし、普段お参りしている下鴨神社とは雰囲気が違うのである。

このような感覚の違いを認識するのは、面白いし、大事だと私は思っている。そこで、この感覚の違いがどこから来るのか、考察してみた。

考察のプロセスとしては、まず共通点をあげ、そして、相違点をあげることとする。

共通点1)よく整備されている

今宮神社も、下鴨神社も、手入れが行き届いた神社である。

今宮神社の境内はとても整っている

共通点2)イベントがいろいろある

まず、歴史的なところでは、今宮神社には、京都三大奇祭といわれる「やすらい祭り」がある。下鴨神社には、京都三大祭の「葵祭り」がある。

現代的なところでは、今宮神社の方はよく知らないが、下鴨神社の方は、フリーマーケットや、古本市、定期的音楽会、その他、チームラボなどによるの大がかりな屋外インスタレーションなど、いろいろある。つまり、両方とも地域の生活に根ざした場所だ。

共通点3)有名なお菓子がある

今宮神社では「あぶり餅」が有名だ。今回は年末で店が閉まっていて食べられず、残念だった。あぶり餅は、2軒の店が向かい合って営業していて、お互いに切磋琢磨している。下鴨神社には「みたらし団子」がある。御手洗川(みたらしがわ)のうたかた(=あぶく)を形どったものと言われる。ただしお店はひとつである。

名前こそ「あぶり餅」「みたらし団子」と違っているが、お菓子の方向性!としては同じだ、と言ったら、関係者に叱られるだろうか。

では、ここから相違点へいこう。

相違点1)庶民的か、貴族的か。

今回、今宮神社へいって、とても印象的だったのは、そのたたずまいが、とても庶民的という点だった。例として、本殿の横には、「織姫社」がある。なるほど、ここは京都西陣織の関係者が建立したお社(おやしろ)なのだ、と納得する。なにしろ、1対の狛犬のように、1対の巨大な機織りの道具、杼(ひ)(縦糸に横糸を通すのに使う)が立っているからである

これに対して、下鴨神社はなにか貴族的である。皇室と関係が深いからだろう。

織姫社。一対の巨大な赤い「ひ」(現代では「シャトル」とも言われる)に注目!

相違点2)全国の神様が集まっているか、そうでないか。

今宮神社には、末社として、全国の有名どころの神様のお社が集まっている。これ以上に神様があつまっているのは、出雲大社ぐらいであろうか。これは、徳川3代将軍、家光の側室で5代将軍綱吉の母である「桂昌院」が西陣の出身だったとかで、西陣に対する望郷の思いが強く、故郷のために「できることはなんでもした」かららしい。つまり、西陣に住みながら、日本全国の有名な神社にお参りできる仕組みだからだ。

ちなみに、その神社の名前をあげると「大国社」「蛭子(えびす)社」「八幡社」「熱田社」「住吉社」「香取社」「鏡作社」「諏訪社」である。聞いたことのある名前がおおいのではないだろうか。

ちなみにこの「桂昌院」はもともと「お玉さん」と呼ばれる八百屋さんの出身だったことから、庶民が、身を起こし、いわゆる「玉の輿」を昇りつめた類まれな女性として慕われ、また「玉の輿」の語源になったとも言われているらしい。

まとめ。神社の雰囲気は、人と共にどのようにあったか、という歴史できまる。

今宮神社の立派でありながらも庶民的な感じは、江戸時代の今宮神社中興の祖、「桂昌院(お玉さん)」が神社を大きくし、整えたということと関係があるのだろう。つまり、江戸時代からずっと、神社と地域の人の関わりが深い。

一方、下鴨神社は、長い間、天皇家や貴族との関わりが深く、どちらかといえば、庶民向けではなかった。フリーマーケットや、ラグビー神社ができたりしたのは、最近だ。このような歴史が、このような違いを生んでいると思われる。不謹慎かもしれないが、これから未来に向かって、それぞれの神社が人々にとってどんな存在になっていくのか楽しみだ。


高橋左

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