10.日記:一度海外に出る。感情活用プログラムで蓬莱山をイメージする。

一度、海外に出ることが必要だった話

あるとき「歴史上の人物では、誰をカッコイイと思うか?」という話になった。そのとき私が思いついたのは、空海、源信、道元、そして、何かの映画で出てきたアメリカのメディシン・ウーマンだった。全員、いわゆるスピリチュアル系というか宗教系だったのには自分でも驚いた。

とはいえ、私は仏教の源流は哲学だと思っているので、実はさほど違和感があるわけではない。それよりももっと驚いたのは、空海、源信、道元がみんな日本人だったことだ。実は、20代のころにも、仏教関係の本は読んでいた。でもどうにも、自分の手の届くところにない感じがしていたのだった。むしろ、学校で接していた、キリスト教の方が身近な感じだった。

当時、思っていたことは、宗教には「信仰」が必要だったり「悟り」が必要だったりするが、「信仰」はキライだし、「悟り」は遠いし、さてどうしたものか、ということであった。

そうこうするうちにある新興宗教団体が恐ろしい犯罪を犯した。よけいに「信仰」や「悟り」が危ないものに感じられるようになった。

だから、いったん海外へ行ったのだ。そこでは、信仰は要求されず、悟りも要求されない。多くが説明され、多くが追体験可能で、多くが脱神秘化される。そうすることでかえって、「その人をその人たらしめる根源的な心(=仏性)」とか「大いなる宇宙の意思(=仏)」に触れることも可能になる。それを助けるのが、Googleなどで研修化されたマインドフルネスや、成人発達理論や、インテグラル理論、そして今読書中のオットー・ラスキー博士の仕事だと思う。

そういうものを学んだ後に、もう一度、空海・源信・道元に触れると「もしかしたら、彼らが伝えたかったのはこれかもしれない」という香りを感じることができるのだ。

感情活用プログラムで蓬莱山をイメージする

今、感情活用プログラムの設計中である。詳細は、参加者の顔を見て決めようと思うが、大枠のデザインはこちらで決めようと思う。まず、自分の「感情(&感覚)」を手がかりとして、自分と周囲の人生をよりよくする、ことがコンセプトである。

何かをするにはビジョンが必要である。ゴールイメージを描くことである。ビジョンとか、ゴールイメージは、コーチングの語彙である。これを「仏道」の言葉で表すと、彼岸であり、八正道の「正見」である。

もうひとつ、何かをするには、リソースが必要である。リソースもコーチング用語にあるが、その中身はビジネスで言われるような「人・物・カネ」だけではない。目に見えない領域にもリソースはたくさんある。カウンセリングであつかうリソースも復習しておきたい。先日、ハリファックス老師のセルフ・スチュアードシップの講座でも、最初にリソースを扱っていたのは、興味深かった。

これは、私の勝手な想像だが、仏教の文脈でいう蓬莱山とはリソースのことではないか?と思っている。お世話になっている禅寺の石庭では、すべての流れが蓬莱山からはじまるデザインになっている。リソースは命の源流でもあるのだ。この蓬莱山が、風水でいう鬼門の方向にあるのも面白い。ちなみに京都の鬼門を守るのは比叡山である。比叡山は京都にとって、鬼門であると同時に蓬莱山であり、源流なのだ・・・こういういう想像は楽しい。