「悟(さとる)」という言葉の周辺
「悟り」について、驚いたことがある。
以前、少し、中学数学の教師をしていたとき、たくさんの「和算(日本の数学)」の文献に触れることができた。江戸時代、日本の数学は微積分や級数なども扱っいたとあり、大変驚いた。
同時に、日本の和算では、いわゆる「証明問題」に価値を認めていなかったという。たとえば、三平方の定理で「三平方の定理」が真であるといえるのか、言葉を尽くして証明することには、価値がない、とされていた。なぜ「三平方の定理」が正しいのかを証明することは、数学の「奥義」にあたる、というのだ。そして、その「奥義」は「悟る」ことでしか、得られない。だから「数学をやるなら、お前も悟れ!」と。
私は、中学生のときから証明問題が好きだったので、この和算の姿勢にはとても驚いた。たしかに「悟り」はなんとなくカッコよく見えるが、しかし、ここは「悟り」が必要なところだろうか?
ということで、なんでも「悟り」の文脈にひもづけることは、私はもったいないことだと思っている。大胆に言えば、仏道の修行だって同じである。「悟り」をゴールにすることは、私たちの可能性をせばめてしまう、もったいない態度だと思っている。
「悟(さとる)」という文字の周辺
「悟とは心の迷いをしりぞけ、心の明るさを守ることであり、それで物事の道理を明らかに知る(さとる)ことができる、の意味に用いる
用例1:悟性 論理的に物事を判断する力
「常用字解」白川静
用例2:覚悟 真実の道理をさとること
「悟る」かわりに「実験=やってみたらどうなった?」を積み重ねてみたい
こんどは数学ではなく、自分の人生を考えてみたい。かつて、日本に「悟る数学」があったように、「修行しないのに、悟ったあり方で生きる人生」を考えてみてもよいのではないか。ここでいう「悟ったあり方」とは『心の明るさを保ち、物事の道理を明らかにしているあり方』のことである。
少し前までは、こんなあり方、姿勢は酔狂な人、物好きな人だけのものだったかもしれない。でも人生100年時代である。このようなグランドデザインを描くことが、もっと増えてもよいと思う。
そこで2024年は、こんな実験をスタートしてみたい。コンセプトは「修行しないのに、悟ったあり方で生きる」だ。ここでは「修行」のかわりに「実験」をする。つまり「やってみたら、どうなった?」を積み重ねるのだ。
では、何に関する「実験」か?それは「自己探究」に関する実験だ。「自分とは何か?」「自分らしさとは何か?」「自分らしさを活かすにはどうしたらいいのか?」の周辺である。
ここまで書いて気づいたことがある。「自分とは何か?」という問いは、昔からあった。これに関する古典・名著もたくさんある。ギリシャ・ローマの古典、インドの古典、仏教関係の古典など、とても多い。しかし「自分らしさとは何か?」の問いは、20世紀ごろに始まったばかりである。それでいて、現代、多くの人が「自分らしく生きる」と聞いて「そうだよね、それがいいよね」と感じるのではなかろうか。それでいて、「自分らしさ」についてもイマイチはっきりしないし、「自分らしさを活かす」となると、途方にくれたりする。だから、メンタルコーチングがだんだん認知されるようになってきたのだ。今やWEB空間には「自分らしく生きたくありませんか?」というキャッチコピーのサービスが乱立している。
しかし「自分らしさ」は受け身な姿勢でサービスを受けるなどの、お手軽な方法で手に入るものではない、ということがここ数年の試みで、まず自分自身が痛感した。だから、自己探究のゼミを開催するのである。ひとりひとりが自己探究をしてみる。やってみてどうだったかを振り返る。振り返りはできるだけ言語化し、記録する。この積み重ねしかないのである。
それと、相互協力する場も必要である。かつて道元がこんな内容のことを書いた。「探究とは、自己を学ぶことである。自己を学ぶとは、自己を離れ、万物の道理を明らかにすることであり(=ここが悟り)、自分とその周囲の人を、とらわれから自由にすることである」つまり、自己探究は一人では完結できない。仲間が必要なのである。これが、自己探究が、個人個人の実践にとどまらず、ゼミという環境で相互協力が必要となる理由である。
「自分らしさ」の探究について、もう少し。インテグラル理論というメタ理論(すべての理論を俯瞰する理論)には、5つの構成要素がある。四象限、レベル、ライン、ステート、タイプの5つである。このタイプが「自分らしさ」に最も強く関係するところである。20世紀になって、ようやく個々人「その人らしさ」が、つまり多様性に光があたるようになった。多様性が意識される時代になってようやく、道元のいう「自分も他者も自由にする」実践が私たちにとって身近になったのである。
あなたにとって「自分も周囲も自由」な世界とは、どんな世界なのだろうか
修行に頼らないで自己探究する方法として考えていること
修行に頼らず、自己探究する方法として考えていることとして、今考えていることは下記のようなことである
- 自己探究をする人たちのコミュニティーを作る
- 仮説の提供(現時点で学術的に提供されているもの)
- 実験し、共有できるシステムの構築
- 古典の力も借りる。すべてが科学で解明されているわけでなないから。
- 探究のロードマップとしては、「十牛図」(中国北宋時代(960 – 1127)の禅僧・廓庵作)を参考にする
- ベースの理論はEQ+アルファ。アルファの中には、ソマティック(身体的な)アプローチが入る。ソマティックアプローチは、感情に流されやすい人にも、感情について意識したこともない人にも、有効
今日の写真
近所の神社の2024 年の干支の額がかかった。毎年カラフルだったけど、今度は、墨絵なのね。
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