マインドフルネスに強いパーソナルコーチ、
学びをサポートする学習ファシリテーター、
研修講師、大学非常勤講師
同志社大学大学院工学研究科電気工学専攻。工学修士。
国際コーチング連盟プロフェッショナルコーチ(PCC)
NPO法人ヘルスコーチ・ジャパン・クラスコーチ
ICFJ Code&CC アンバサダー
Search Inside Yourself Engage 終了
関西医療大学非常勤講師
SEI EQアセッサー・EQプラクティショナー(シックスセカンズジャパン)
これまで、2000名以上の方に研修、1200時間以上の個人セッションを提供しています。
なぜエンジニアからコーチになったのか?
あちこちで仕事をしていて、いちばん聞かれる質問がこれです。
「どうしてエンジニアからコーチになったんですか?」
なので、ここではコーチになった理由、特になぜエンジニアからコーチになったのか。さらにマインドフルネスに力を入れているのはどうしてか?を書きます。
長いですが、よかったらお付き合いくださいね。
「よく生きるには?」を考えるためにエンジニアになる
同志社大学大学院修了後、結婚。
そして、ベンチャー企業に就職。
人工知能分野のソフトウェアの研究・開発に関わりました。
その人工知能では、言葉の仕組みを理解し、ソフトウェア化していました。
思考の道具である、言葉について研究すれば「よく生きるにはどうすればいいか」が見えてくるのでは?と期待していたのです。
仕事をやめてわかったこと
数年間「コンピューターを使った翻訳システム」の仕事を続けていたのですが、やがて私はどのように仕事を続けるか、迷いはじめました。
もう少し形になるまで頑張りたかったのですが、一方で「ここらへんで、子どもを産んでおかないと、生物的に大変だろう」とも思いました。(かなり理系な考え方ですね^^;)
すると、願いがかなって、すぐに男の子を授かりました。
ところが、出産直前になって、義母から「仕事をやめてほしい」と言われました。
私は、自分の思いを通す方ではあったのですが、当時は義母に「NO」を言う気持ちは全くなかったので、あっさり受け入れたのです。
でも、仕事をやめて、家に赤ちゃんと二人になってはじめて、
「しまった、人生、真っ暗だ!」
と気付いてしまったのでした。
頭では、「人生、真っ暗!」なはずはない、とわかっているのです。
衣食住に心配がなく、夫も赤ちゃんも健康で……
感謝するならともかく、何の不満があるというのでしょう!
それでも、心の中では「人生、真っ暗!」という声が鳴り響いていました。
実際に失ってしまってから、思い知ったのです。自分にとって、どれほど仕事が大事だったかを……
アメリカの砂場でインタビュー
「人生、真っ暗だ!」と思いながらも、乳児を放っておくことはできず、それなりに育児をしていました。
そんなとき、夫の仕事の関係で、
アメリカのカリフォルニア州サンディエゴに2年間、住めることになりました。
チャンスだと思いました。
私が引っ越した地区は、とてもインターナショナルで、さまざまなバックグラウンドの人がいました。
そんなインターナショナルな公園の砂場で子供を遊ばせながら、仲良くなったお母さんたちに、彼女たちの価値観、特に宗教観について、いろいろとインタビューさせてもらったのです。
エンジニア時代の問だった「よく生きるには?」のヒントがあるかもれないという思いもありました。
日本では、宗教について語ることはほとんどありませんが、ここでは、さまざまな背景の人が同じ地域に暮らしているので、お互いの理解のために、宗教観の話題も抵抗なくできます。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、そしてアフリカの宗教……。
ダイバーシティ(多様性)を重んじる国だけあって、お互いの価値観を尊重し合っていました。
なかでも一番印象的だったのが、トルコのお母さんの宗教観でした。
彼女はトルコ育ちです。
トルコは近代化を進めていて、国の代表的宗教であるイスラム教について、ほとんど何も知らされずに育ったそうです。
ところが、アメリカに移住し、アメリカの大学で宗教学を勉強したとき、「イスラム教は、とても美しい宗教だ」と初めて理解したのだそうです。
そして、彼女は私の宗教をたずねてきたのでした。
私は外国で、宗教の話をするとき、自分を「仏教徒」だということにしていました。
実質は、ほとんど無宗教に近かったのですが、「無宗教だ」というと、外国では「人として認められないケースがある」という話があったからです。
そこで、トルコの彼女にも「仏教徒だ」と言いました。すると彼女は「仏教も、とても美しい宗教だ」と言ったのでした。
私は心底、驚きました。
それまでの私のイメージは、「イスラム教徒はいつも、イスラム教が一番!!と思っているはず」でした。
けれども、彼女にとっては、イスラム教も仏教も同じように美しい、というではありませんか。
そして、自分が生れたのがトルコだから、イスラム教の方が身近だ、というスタンスなのでした。
私にとっては、イスラム教徒が、仏教のことを敬意をもって語ることは、思いもよらないことだったのです。
お互いの違いを認める、相互尊重のすばらしさを感じた瞬間でした。
PTAは大変だ
さて、米国生活を終えて、
日本に帰国後2年たらずで、東京郊外の小学校PTAの会長を引き受けました。
PTAというと、どんなイメージをお持ちでしょうか?
お母さんたちが集まって、噂話に花を咲かせながらバザーの準備をしている感じでしょうか?(このイメージは相当古いかもしれませんが)
私が会長をしたPTAは、その市内でも異色でした。
それは、隣町のPTAから「あそこのPTAは怖い!」と言う評判が立つぐらい。
暴力やいじめがあると言う意味ではなく、いつも議論が熱く、活発で、まるで「言葉の空中戦」のような様子が恐ろしく感じられたようなのです。
そんなことも何も知らずに、アメリカから帰国して、まったく初めての土地でPTA会長になったのです。
そこでは、PTA会長は誰もなりたがらない役でした。多分めんどうだったからだと思います。
ではなぜ引っ越し早々、よそ者の私が会長を引き受けたかというと、「子供が遊ぶ町を安全な町にしたい」という思いがあったからです。
それは、到底ひとりでできることではありません。しかし、PTA会長ならそれができると思ったのです。
こう思うようになったわけをお話ししましょう。
アメリカでは「治安が良い」とされる地域に住んでいましたが、それでも日本とは比べられないぐらい危険で、子供たちだけでは外遊びができない環境でした。
その緊張感が本当に嫌で、日本に帰って来た時は本当にホッとしました。けれども、日本の状況も変わりつつあると聞いて、自分が住むこの地域をアメリカのようにしたくないと思ったのです。
PTAと学校が協力して防犯マップを作り、地元の警察や商店会と連携すると、地域内の不審者の数が大幅に減りました。
ところが私は1年で体調を崩してしまったのです。高熱が一か月続き、医者に行っても原因不明。今から思うとストレスだったのでしょう。
「PTA会長は、そんなに大変な仕事ではない」と、私はこの役を引き受ける前に思っていたのですが、これがとんでもない見込み違いだったのです。
何が大変だったかと言うと、「他のPTA役員に話が通じない」ことでした。役員の間で、意見の対立がいつまでも延々と続くのです。
それはエンジニア時代もアメリカ時代も感じたことのない難しさでした。
今、振り返ってみると、それは「人の気持ちをそろえ、行動につなげる」ことの難しさ、だったのです。
自分の人生を取り戻せ!
そんなとき、同じように感じていた他のPTA役員が見つけてきたのが「コーチング」でした。まずPTAで、さらに地域で、コーチングを学ぶ学習会活動を始めたのです。
このことがコーチングだけでなく、自分自身と徹底的に向き合うことの、始まりとなりました。
コーチングの最初の衝撃は、次のような考え方と向き合うことでした。
何をやるか、自分で決めているか?
やり方も自分で決めているか?
他人が決めたルールに
何も考えずにしたがっていないか?
そもそもそれは、自分が心からやりたいことか?
「えっ?」「ルールに従わないなんて?」
「自分がやりたいことするなんて、そんなの無理じゃない!」
などと反応している自分。
これらのことを考えたとき、私は「もう母親なのだから、自分の人生を生きてはいけない」「いつも子供を優先するべき」と思い込んでいたことに気が付いたのです。
とはいえ。
私にとって、仕事を捨てて「母親に専念する」ことは、自分を捨てることと同じでした。
けれども「自分を捨てながら」「子どもを優先する」苦しさを、「みんなやっていることだから」「世間のあたりまえ」だからと、「苦しいなんて思ってはいけない」と思っていたのです。
ですから当時の私は、そんな苦しさや悩みを誰にも語らず、「結果を出すPTA会長」としてバリバリ活動していました。
でも、本当は「自分を捨てる」ことなどできないのです。「自分を捨てるふり」をしていただけなのです。
たとえば、私は読書や映画鑑賞など、やりたいことがたくさんありましたが、子育て期にはそれをすることを自分に許してはいませんでした。
そして「今は自分を犠牲にして子どもに時間を捧げる時」だと思っていました。
しかしその結果「自分の人生を生きてはいけない」という自分のルールを子供にも押しつけていたのです。
これが、コーチングを学んで分かったことです。私は子供に「母親が生きたかった人生」を押し付けていたのです。
私は、子供の頃から「男に生まれ、仕事をバリバリしたかった」と思っていたので、男である息子たちにそれを背負わせても、不都合はないと思っていたのでしょう。
しかし、コーチングでは「それぞれの能力や意欲を引き出す」には、「その人らしい、その人自身の人生を生きることが最重要」だというのです。
それ以降私は、「子どもの世話をよくする、いわゆる面倒見のよい母親」をやめました。
「自分の人生を取り戻せ!」を軸に、自分の生き方や、子どもへの接し方を変えていきました。
自分の時間をすべて、子どものために使うことはやめました。
そして、ここが「人生、V字回復!」のターニングポイントでした。
それぞれの道をしっかり歩みはじめる
コーチングを通じて私は次のことを学びました。
「自分を捨てなくていい」
「自分を大事にして活かしていい」
「他人と違っていていい……」
それらの姿勢が、決して自分だけのわがままではなく「周囲の人も大事にする方法」だと学びました。
そして、私は少しずつ、仕事を再開し始めました。献身的な母親も、少しずつやめていきました。
すると不思議なことに、子ども達は自分の道を自ら選び、しっかりと歩み始めたのです。
ひとりは、野球部を経て高校生活を謳歌し、関西最難関大学に進学して演劇という道を、もう一人は、甲子園を目指して野球に毎日を捧げ、その後国立大医学部の道を選びました。
私自身は、2008年よりコーチ・学習ファシリテーターとして活動を開始しました。
マインドフルネスは、コーチングを、人を自由にする
次男の高校野球引退のタイミングで、自分自身の活動を本格的に再開した私は、英語の原書や論文を読み、これはと思うものがあれば、海外にも出かけました。
また、コーチングの国際会議やハーバード大学でのコーチング学会など、ためになると思うものがあればどんどん探してきて精力的に参加しました。
そして、探し当てたのが、Google社で開発されたマインドフルネス・プログラムだったのです。
今や、マインドフルネスの科学研究は世界で競うように行われ、その研究成果もどんどん発表されています。
とはいえ、インターネットで海外セミナーに申し込むなんて、初めてのことでした。
他にも、英語力のこと、土地勘の無さ、そもそも本当にこのセミナーは実在しているのか……など、一人で行くことに不安も一杯。
しかし、行って自分で確かめてみないことには何も始まらないし、わからない。
つまり、マインドフルネスのやり方を知るには、Googleの本拠地、サンフランシスコに行くしかないではありませんか!!
そういう訳で思い切ったのです。
行ってみて、正解でした。
マインドフネスは、それまで私が感じていた「コーチングに対する疑問、物足らなさ、窮屈さ・・・」を解決するかも、とわかったからです。
私自身の例でいうと、大学時代からマインドフルネスに出会うまで、ずっと理系、論理的に考える傾向が強かったです。
ところが、マインドフルネスに出会うことで、感覚とか感情が呼び覚まされました。たとえば、子供のころ、絵を書いたり、楽器に親しむのが好きだった、ということを思いだしました。
そういう感覚と感情が、それまでの論理中心の傾向に加わると、毎日の中から余計な力が抜けていくのです。
その後、Google社で開発されたマインドフルネス・プログラム(SIY Engage)に参加し、世界18か国あまりの受講生とともに、第1期卒業生となりました。
私の願いは「その人らしさの発揮と調和」
私の願いは、ひとりでも多くの人が「その人らしさ、本来の力を発揮して生きる」ことです。その上で、一人一人が「内側の調和をはかりながら」生きていくことです。
そのために、私自身が「自分の人生を取り戻す」きっかけとなった、コーチングや、マインドフルネスを提供しています。
若いころからの問い「よく生きるにはどうしたらいいか?」に対する第一の答えは、「自分自身に帰る」こと、と思うようになりました。
その先に「一人一人が、内側の調和をはかりながら生きる」があると思います。
イメージとしては、こんな感じです。
高橋美佐 についてのトリビア
■大阪府高槻市出身、東京に20年、アメリカに2年、現在は京都で15年以上。
■23歳で結婚(はやっ!)ぎりぎり学生結婚です。
■子どもは息子が2人。1990年生まれ、1993年生まれ。オモロイ子たちです。
■性格: 真面目、静か。ちょっと慌てる。講師のときは熱いと言われる。
■ハマっていること:ウクレレ。数学科出身のマインドフルなギタリスト先生に出会えてホント楽しい。
■好きなモノ:TVドラマ。朝ドラ、大河がキホンで、あとは、そのとき面白いもの
■苦手なモノ:決めつける人
■好きな言葉:「頭寒心熱」(Cool Head Warm Heartを四字熟語にした^^)
クライアント様の声の一部をご紹介
<コーチング>
「スタッフ同士のミュニケーションがうまくいくようになった」
「チームワークがよくなってチームとして学会発表の件数が増えた」
「専門性が認められてスタッフのモチベーションと生産性が上がった」
「人生のターニングポイントになった。今までで、一番達成することができた」
「自分の軸にそって、新しい事業を始め、商業出版もできた」
「発案したプロジェクトが認められ、会社役員に昇格した」
<3分禅コーチング(マインドフルネス)>
「学んだことは私の宝物になり、日々の生活で大変役に立っている」
「悔やんでも戻らない過去にとらわれる時間がへった。」
「感情に振り回される場面が減りました」
「平常心への回復が早くなり、ブレない自分に近づいた」
「職場で、苦手かもと思う人に対して、なんとなく好意すら持て、心地よい関係を作ることに役立った」
「生活の中でざわざわすることがほとんどなくなった」
「問題点や嫌なことを後回しせずに、処理出来るようになった」
「相手の話をしっかり聴くことが出来るようになった」
「無意識ではなく、意図を持って、行動出来るようになった」
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